けものフレンズ2

けものフレンズ2をきしぽんに見せました。

俺がしゃべろうと思って事前に用意していた内容と、きしぽんの感想をメモしたテキストを以下ペタリ

■1期の復習
・かばんとサーバルの旅
かばんが何者なのかを調べるため図書館に行く、というのが前半の物語。
パークから姿を消したとされるヒトの痕跡を探すのが後半。
ヒトを探して島の外へ出るかばんとそれを追いかけるサーバルという結末。
・ミライさんとサーバルの物語
かばんはミライさんの髪から生まれたフレンズであり、これはミライさんとサーバルの旅でもあった
■2期が始まる前
・カラカル
ネクソン版でのサーバルの親友。この人選の意図を深読みするむきもあったが、特に意味はなさそう。
■1話
・食べないで~
物語の中で合理的に解釈するよりも、現実世界の都合だと解釈する方がコストが低いものは全てカスだと思っているので、このくだりはカスだと思っている。
漫画版では改善されている。
・「僕はけものじゃないよ」
この台詞がクソほど批判されてた。
このタイミングで批判するやつは物語の読み方がわかってなさすぎる。これは物語冒頭の所信表明であって、これを前提にして、それが変わったり変わらなかったりするの。
・旅の目的
1期のかばんの旅は「自分が何の動物か知る」が図書館に着くまでの前半。「縄張りを探す」と称して、人の痕跡をたどるのが後半。
それに対してキュルルの旅は「帰りたい…、おうちに」なので、物語の結末がどのようなものであるべきかを間違えないように。
■2話
・パンダのしっぽは白
■3話
・「人と関わって"しまった"動物たち」の話
実はよく考えるとパンダもそう。
レッサーパンダがジャイアントパンダに対してコンプレックスを持っているのは、人間がそう名付けたからに他ならない
きしぽん:
1期に比べてヒトの影響をめちゃくちゃ受けてる
「動物園」という感じがする
→ネクソン版けものフレンズは「新感覚動物園RPG」なので。
■4話
・登場人物
アードウルフもアリツカゲラは1期に出ている、"意味"があるキャラ。ナミチーの声はスナネコの人。これだけ1期のキャラクターを集めてて、主人公と同じ"おうちさがし"をしていることの意味は?
→よくわかりませんでした
リットル:
スタンド・バイ・ミーやらないのか 
→線路の上ならともかく、モノレールの上は無理だろw

■6話
・かばんの一人称二人称
「ぼく」→「わたし」、「サーバルちゃん」→「サーバル」
・作り手の聖域
めちゃくちゃ燃えました
1期のBD6巻についていた吉崎観音とたつき監督の対談から
吉崎観音「一貫して触れなかったのは、かばんちゃん周りなんですよ。ここは作り手の聖域だから。かばんちゃんが現れて、かばんちゃんの旅路、かばんちゃんの結末、ここには一切触れない。
かばんちゃんを軸にした筋書きの部分は、「モノづくりの楽しい場所」なので、できるだけ触らないようにと思って。」
・かばんさんが明らかに「フレンズたちと異なる異質な存在としてのヒト」として書かれていることにはキュルルとの対比の意図がある(最終話で再度言及)
・実はこの話には大きな仕掛け(叙述の仕掛け)がある。(最終話で言及)
・お茶(9話で再度言及)
お茶は3話の最後にも登場していた。
漫画版には「お茶は「ヒト」の知恵の結晶なのですよ」というセリフがある。
■7話
・チーターが直角に曲がるシーンでしっぽを使ってない。全然ダメ
■9話
・冒頭の会話、人間と動物の役割を入れ替えてある
「なんで嫌がってるのに、無理やりどっかに連れて行くの!」
「依頼主があなたに会いたがってるからですよ」
「だから、なんで会いたいの」
「それはー… ヒトが珍しいからじゃないですか?」
意味は? さぁ……
・お茶
キュルルはお茶に手をつけていないのであれが本当にお茶だったかどうかはわからない
漫画版ではダメそうだった
・「おうちへおかえり」
「おうちにおかえりって言ってくれませんかと言われてほんとに言うやつがあるか」と燃えました。
イエイヌ視点では、自身の無力さや3人の絆の深さを見て考えた末の決断と思えるので、それは尊重されるべき。
キュルルの返事は、そういったイエイヌの感情の動きを踏まえた上で、彼女の意志を尊重して、という形であるべき。何も考えてなさそうに見えるのがダメ
・放送日が3/11深夜であったことから、3.11を意識したものではないかとする深読みもある
きしぽん:
3話の気持ち悪さ・グロテスクさを濃縮した、このアニメのテーマの本質に迫る回だったように思う。
もういない人を待ち続けるイエイヌと、もうない家を探し続けるキュルルの対比構造になっている。
別れのシーンは、キュルル自身がその構造(イエイヌが自身とよく似ていること)を全く理解しておらず、たしかに何も考えずに復唱しているように見えてよくない。

■10話
きしぽん:
・フウチョウがここまでのテーマを直接突きつけてきた
・おみやげの定義が「それを眺めれば、旅の楽しかった記憶が蘇ってくる…。それこそがおみやげなのです!」であるように、この物語は記憶の話であり、スケッチブックは記憶の象徴
・その意味を失っても繰り返されている"文化的な"習慣
誰もいないのに繰り返されるショー
誰もいないのに待ち続けるイエイヌ
誰もいないのに維持されてるホテル

後日追記
・なかったら探せない
3の第2部4章17話2のおまえが戻ってきたと思えたらそこがアクシマなのだ」っぽいと思って確認したら、その場にフウチョウがいるうえに「このパークもそうやって ミンナのカエるバショになっていったの」というド直球なセリフもありびっくりした。
・ぬいぐるみの在庫がIUCNレッドリストに対応してるの、しょうもない小ネタかと思ってたけど、作中でのおみやげの定義を踏まえると、本質的な仕掛けっぽい
■12話
・旅の結末
波打ち際に捨てられた帽子の描写が、かばんが2本羽の帽子をかぶっていることと対照的
「ようこそジャパリパークへ」が流れるのはそういう意味
・「かばんちゃん」
実は6話にはサーバルがかばんの名前を呼ぶシーンがない。
初めて気づいたときにはかなり衝撃を受けたんだけど、こういうのはそういう仕掛けがあることが視聴者に伝わるようにやるべき。
・ビーストとは
なんだったのか
・2000年問題
プロデューサーが「2期は1期の2000年後」と発言したとされる。
2,3年との聞き間違い説もある。
公式のタイムラインとしては、いわゆるネクソン版がたしか2030年くらい、アニメ2期が4020年くらい(漫画版)なので、この間が2000年なのは正しい

きしぽん:
・全員集合の戦闘する必要あった?
ビーストの話やヒトの話("家"がない話)をした方が良かったのでは
・キュルルの結末
全て失っていることを受け入れて、その上で今を選んだという話
厳しい世界を描写しつつも主人公の生きる道にはある程度の救いがある
・ビーストの結末
「ヒトが不用意に近づいたばかりに迷惑するけもの」に、それでも近づこうとするのはキュルルの幼さ
ビーストはキュルルとの対比になっている 帰る場所がない
最後にオーラがなくなっていたのはよくわからない。 生きることを諦めた? 最後に誰かと"つながった"ことで満たされた?
自ら滅びを選んだと見るか、兵器として使われて見捨てられたと見るかで物語の解釈がかなり変わりそう。手枷の解釈にも依存しそう
・パークのエコシステム
何千年と維持されくり返される永遠の日常の牢獄
・キュルルは人では?
時の牢獄というモチーフに合うのはフレンズではなくヒト

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