感想
サクラダリセット
原作は7年前、高校3年生の時に読んだのだけど、最近アニメを見たのをきっかけに再読した。
アニメはかなり良い出来で、大きな不満はないのだけど、やはり映像と文章の表現の違いを感じさせられる。
というのも、この作品は、それぞれのキャラクターがそれぞれの立場・物の考え方に基づいて、さまざまな物事にに考えを巡らせていることの描写が重要だと俺は思っていて、だから、内心の描写が難しい映像という形態ではこの作品を表現するのは難しいし、仮に、例えば表情の変化や言葉の強さ・間のとり方といったものでうまく表現されていたとしても、それを読み取ることは難しい。
これに関連する点だが、そういった重要な内心の描写ややりとりが、結構バッサバッサとカットされていて、気に食わない部分もある(後述)。この作品は、すべての描写に意味があるので、どこを切ったとしてもきっと不満を言うのだろうけれど。
感想を書くのは面倒になったので、以下いつも通り時系列感想で。
以下に述べるのは、アニメを一通り見た後、原作を読んでの感想。読んだのはスニーカー版。新装版では結構手が入っていると聞いて気になって入るのだけど装丁があまり好きではないので、どうしようかと思っている
・1巻P234、皆実がケイに電話するところがアニメ4話中盤ではカットされてる。やっぱり1巻の時点では彼女ももっと物語の本筋に絡む構想だったんじゃないかという気がする
・1巻P266、ケイが春埼に髪留めをプレゼントする場面で、「どこか冷静な部分では、このプレゼントに疑問を持っている」という春埼の内心描写を読んで初めて、アニメ4話後半では気づかずにいたその意味を理解した。やはり内心の描写がほしい
・1巻P47で野ノ尾さんの「ストーカー」という台詞があって、この伏線の回収が2巻P224でかなりさらっと書かれていることに気づいた。アニメでは、その正体はその場で明示的に描写されている(3話Aパートラスト)。おそらく原作だけしか見ていないと一生気づかなかったであろう伏線だ。
・魔女がした石に恋するたとえ話、これは単に春埼に対する問いかけなのではなく、本当に「女の子と恋についての話をしてみたかった」(2巻P108)のだということが、魔女の内心が描写されている2巻P174からわかる。これもアニメでは明示的に描写されていない。
・このたとえ話は浦地さんがしている。(どの場面だか忘れた)
・この老人と魔女の物語そのものが、ケイの物語とかなり対応するように描写されているのは明らかだけど、2巻P186の「二八年前、二人は一つの約束を交わした。それは再会の約束だ。必ずもう一度会おうという、シンプルで強い約束。」というのも、7年前の俺が好きなシーンとして挙げた場面と対応していそう
・2巻P174の「彼女の能力で知り得るのは、音と映像だけだった」という描写と、7巻P127でケイが相馬の能力を使うシーンの描写
・1巻の書き出し「伝言が好きなの」というセリフが実際に登場するのは3巻P96、結構遠い。そしてこれを、物語の最後の最後7巻P405「伝言なんて大嫌い」として再登場させるのは好き。「嫌い」の方はアニメ24話にも出てくるけど、「好き」というシーンはどこだろう(ちょっと探して見つからなかったけど、「嫌い」があるなら当然「好き」をどこかで描写しているはずで)
・3巻P114に「もし彼が一度でも手を握り、ケイの視界からキーホルダーを隠していれば、つまらない手品だと判断しただろう。だが彼は、手を開いたままだった。」とあるのに、アニメ10話では手を握って視界から隠している。なぜ変更したんだろう
・3巻P131-135あたりの、ケイの過去の話、彼が何を思いながら家の鍵を捨てたのかといった描写が、アニメ10話ではバッサリとカットされている。これがあるのとないのとでは、ケイという人物に対する理解にかなりの違いが生じてしまうと思うのだけど……。納得のいかないカットの1つ。
・相馬との出会いのシーン、2巻P266で相馬が「泣いているの?」とケイに問うのは7話冒頭にあるけど、3巻P215の春埼の「泣いているのですか?」はカットされてる……
・3巻P309からの、マリの件の結末がアニメではカットされている。なぜだろう。
・3巻P317「僕と春埼は違う。僕はね、僕が悲しいのが、嫌なんだ」、これがちょうどP90からの善と偽善の話に対応しているのだけど、これもアニメ2話だとカットされている。こういう細かく丁寧な描写の対応が容赦なくカットされているのは結構悲しい
・3巻P258-262で智樹と春埼が会話するシーンや6巻P34-45の学園祭のシーンでの、智樹のケイに対する認識・評価のもバッサリカットされている。そのせいでアニメでは智樹がかなりちょい役になっていて、これもちょっと不満。
・3巻P267、原作だとラムネ瓶を用意したのは相馬なんだよな……
・3巻P269-276もアニメだとカットされてる。そのせいで、ケイが初めから"暴力的な"手段に出ているように見えてしまう……
・4巻のサブタイトル"goodbye is not easy word to say"、TR5話の"Will you praise me if I can say good-bye well?"を想起させて好き
・5巻P139-P142、このタイミングで、7巻P40からの場面の未来回想シーンが入るのか。ということは、当然このタイミングで物語は結末まで完成していたのか。
・7年前の感想文では好きなキャラクターは野ノ尾さんだと書いていたけど、それはおそらくこの5巻の印象が強かったからなのだろう。例えばP192-208やP314-325、そしてP351-355
・6巻P269、アニメ18話で宇川さんが能力を使った直後のシーンで、車をたとえに出すけど、原作だとそれより前のP241で村瀬さんとこの話を一度している。村瀬さんとのやりとりはある意味で論理的に、津島先生とのやりとりは感情によって。
・前述の、7年前の俺が好きなシーンとして挙げたところの6巻P342、アニメ19話ではカットされてる。これは本当に許せない。一番嫌い。
・1巻の口絵にも書かれている「『リセット』たった一言。それだけで世界は三日分死ぬ。」という言葉、新装版だと「死ぬ」ではなく「巻き戻る」になっていて、これはかなり不満。というのも、「死」というものは不可逆変化の象徴であって、だから7巻の序盤の「能力がなくなった世界」を消してしまうことの重大性を表すのに、ふさわしい言葉だと思うから。7巻P25の文章が、「世界を殺す」ではなく「巻き戻す」だと締まらない。
・7巻P49「誰かのためじゃない。――僕自身が咲良田の能力を望んでいるんだ」
・7巻P77「能力は絶対的だ。例えば愛や友情で、乗り越えられるものではない。きっと愛が、友情が、そういう強い感情が能力を生むのだ。だから、同じものでは超越できない」
・7巻P147、「かけらの疑いもなく、後ろ向きに一〇メートルではきかない距離を落下できるのは、たぶん世界で二人だけだ。――春埼美空。それと、私」、アニメ21話だと「私と――」となっていて、2人目への言及をぼかす演出になってる。どういう意図があるんだろうか。
・7巻P281、春埼がケイに対して「初めて会った頃からずっと、彼はそうだった。世界中の悲しみを、まるで自分自身の悲しみのように嫌っていた。あの複雑で混沌とした彼の本質は、こんなにもシンプルで美しい」と思っているけれど、これは2巻P174-175あたりで、全く同じことをケイが春埼に対して思っていそう。二人はとても良く似ている
・7巻P294「『とても似ている僕たちは、もう少しわかり合えます。完全ではなくても、十分に相手を理解できます。僕たちには、それを信じることしかできない』何も知らない赤子が、母親の口から漏れる音の羅列を、意味のある言葉なのだと信じるように。その意味を読み解けるのだと無垢に信じるように」、この部分は1巻P65のやりとりと対応しているように思う。物語序盤の、すでに一度伏線として使った話を、終盤でもう一度うまく絡めてくるの好き。
原作は7年前、高校3年生の時に読んだのだけど、最近アニメを見たのをきっかけに再読した。
アニメはかなり良い出来で、大きな不満はないのだけど、やはり映像と文章の表現の違いを感じさせられる。
というのも、この作品は、それぞれのキャラクターがそれぞれの立場・物の考え方に基づいて、さまざまな物事にに考えを巡らせていることの描写が重要だと俺は思っていて、だから、内心の描写が難しい映像という形態ではこの作品を表現するのは難しいし、仮に、例えば表情の変化や言葉の強さ・間のとり方といったものでうまく表現されていたとしても、それを読み取ることは難しい。
これに関連する点だが、そういった重要な内心の描写ややりとりが、結構バッサバッサとカットされていて、気に食わない部分もある(後述)。この作品は、すべての描写に意味があるので、どこを切ったとしてもきっと不満を言うのだろうけれど。
感想を書くのは面倒になったので、以下いつも通り時系列感想で。
以下に述べるのは、アニメを一通り見た後、原作を読んでの感想。読んだのはスニーカー版。新装版では結構手が入っていると聞いて気になって入るのだけど装丁があまり好きではないので、どうしようかと思っている
・1巻P234、皆実がケイに電話するところがアニメ4話中盤ではカットされてる。やっぱり1巻の時点では彼女ももっと物語の本筋に絡む構想だったんじゃないかという気がする
・1巻P266、ケイが春埼に髪留めをプレゼントする場面で、「どこか冷静な部分では、このプレゼントに疑問を持っている」という春埼の内心描写を読んで初めて、アニメ4話後半では気づかずにいたその意味を理解した。やはり内心の描写がほしい
・1巻P47で野ノ尾さんの「ストーカー」という台詞があって、この伏線の回収が2巻P224でかなりさらっと書かれていることに気づいた。アニメでは、その正体はその場で明示的に描写されている(3話Aパートラスト)。おそらく原作だけしか見ていないと一生気づかなかったであろう伏線だ。
・魔女がした石に恋するたとえ話、これは単に春埼に対する問いかけなのではなく、本当に「女の子と恋についての話をしてみたかった」(2巻P108)のだということが、魔女の内心が描写されている2巻P174からわかる。これもアニメでは明示的に描写されていない。
・このたとえ話は浦地さんがしている。(どの場面だか忘れた)
・この老人と魔女の物語そのものが、ケイの物語とかなり対応するように描写されているのは明らかだけど、2巻P186の「二八年前、二人は一つの約束を交わした。それは再会の約束だ。必ずもう一度会おうという、シンプルで強い約束。」というのも、7年前の俺が好きなシーンとして挙げた場面と対応していそう
・2巻P174の「彼女の能力で知り得るのは、音と映像だけだった」という描写と、7巻P127でケイが相馬の能力を使うシーンの描写
・1巻の書き出し「伝言が好きなの」というセリフが実際に登場するのは3巻P96、結構遠い。そしてこれを、物語の最後の最後7巻P405「伝言なんて大嫌い」として再登場させるのは好き。「嫌い」の方はアニメ24話にも出てくるけど、「好き」というシーンはどこだろう(ちょっと探して見つからなかったけど、「嫌い」があるなら当然「好き」をどこかで描写しているはずで)
・3巻P114に「もし彼が一度でも手を握り、ケイの視界からキーホルダーを隠していれば、つまらない手品だと判断しただろう。だが彼は、手を開いたままだった。」とあるのに、アニメ10話では手を握って視界から隠している。なぜ変更したんだろう
・3巻P131-135あたりの、ケイの過去の話、彼が何を思いながら家の鍵を捨てたのかといった描写が、アニメ10話ではバッサリとカットされている。これがあるのとないのとでは、ケイという人物に対する理解にかなりの違いが生じてしまうと思うのだけど……。納得のいかないカットの1つ。
・相馬との出会いのシーン、2巻P266で相馬が「泣いているの?」とケイに問うのは7話冒頭にあるけど、3巻P215の春埼の「泣いているのですか?」はカットされてる……
・3巻P309からの、マリの件の結末がアニメではカットされている。なぜだろう。
・3巻P317「僕と春埼は違う。僕はね、僕が悲しいのが、嫌なんだ」、これがちょうどP90からの善と偽善の話に対応しているのだけど、これもアニメ2話だとカットされている。こういう細かく丁寧な描写の対応が容赦なくカットされているのは結構悲しい
・3巻P258-262で智樹と春埼が会話するシーンや6巻P34-45の学園祭のシーンでの、智樹のケイに対する認識・評価のもバッサリカットされている。そのせいでアニメでは智樹がかなりちょい役になっていて、これもちょっと不満。
・3巻P267、原作だとラムネ瓶を用意したのは相馬なんだよな……
・3巻P269-276もアニメだとカットされてる。そのせいで、ケイが初めから"暴力的な"手段に出ているように見えてしまう……
・4巻のサブタイトル"goodbye is not easy word to say"、TR5話の"Will you praise me if I can say good-bye well?"を想起させて好き
・5巻P139-P142、このタイミングで、7巻P40からの場面の未来回想シーンが入るのか。ということは、当然このタイミングで物語は結末まで完成していたのか。
・7年前の感想文では好きなキャラクターは野ノ尾さんだと書いていたけど、それはおそらくこの5巻の印象が強かったからなのだろう。例えばP192-208やP314-325、そしてP351-355
・6巻P269、アニメ18話で宇川さんが能力を使った直後のシーンで、車をたとえに出すけど、原作だとそれより前のP241で村瀬さんとこの話を一度している。村瀬さんとのやりとりはある意味で論理的に、津島先生とのやりとりは感情によって。
・前述の、7年前の俺が好きなシーンとして挙げたところの6巻P342、アニメ19話ではカットされてる。これは本当に許せない。一番嫌い。
・1巻の口絵にも書かれている「『リセット』たった一言。それだけで世界は三日分死ぬ。」という言葉、新装版だと「死ぬ」ではなく「巻き戻る」になっていて、これはかなり不満。というのも、「死」というものは不可逆変化の象徴であって、だから7巻の序盤の「能力がなくなった世界」を消してしまうことの重大性を表すのに、ふさわしい言葉だと思うから。7巻P25の文章が、「世界を殺す」ではなく「巻き戻す」だと締まらない。
・7巻P49「誰かのためじゃない。――僕自身が咲良田の能力を望んでいるんだ」
・7巻P77「能力は絶対的だ。例えば愛や友情で、乗り越えられるものではない。きっと愛が、友情が、そういう強い感情が能力を生むのだ。だから、同じものでは超越できない」
・7巻P147、「かけらの疑いもなく、後ろ向きに一〇メートルではきかない距離を落下できるのは、たぶん世界で二人だけだ。――春埼美空。それと、私」、アニメ21話だと「私と――」となっていて、2人目への言及をぼかす演出になってる。どういう意図があるんだろうか。
・7巻P281、春埼がケイに対して「初めて会った頃からずっと、彼はそうだった。世界中の悲しみを、まるで自分自身の悲しみのように嫌っていた。あの複雑で混沌とした彼の本質は、こんなにもシンプルで美しい」と思っているけれど、これは2巻P174-175あたりで、全く同じことをケイが春埼に対して思っていそう。二人はとても良く似ている
・7巻P294「『とても似ている僕たちは、もう少しわかり合えます。完全ではなくても、十分に相手を理解できます。僕たちには、それを信じることしかできない』何も知らない赤子が、母親の口から漏れる音の羅列を、意味のある言葉なのだと信じるように。その意味を読み解けるのだと無垢に信じるように」、この部分は1巻P65のやりとりと対応しているように思う。物語序盤の、すでに一度伏線として使った話を、終盤でもう一度うまく絡めてくるの好き。
感想
けもフレ2
巷ではクソクソ言われてるけど、別にクソアニメではなくて、ただ面白いところが1つもないだけ
最終話放送直前に11話まで一気に見て、そのあと時間を置いて最終話を見た。
◎11話まで見た時点での感想
1話
・キービジュアルの画像を見てだいぶ厳しいと思っていたけど、実際に動いてるの見たらそうでもなかった。これは1期でも同様の感想を抱いたので、そもそも3Dモデルを静止画にすること自体か、あるいはそれに対する俺の認識がダメそう。
・カラカルの声が幼すぎる
→と最初は思ったけど、あのキャラ付けならこれでもまあいいかなあという感じ
・「食べないでくださ~い」←は?
このことについて、作中だけで妥当に解釈できるという指摘(例えば、「1期最終話以降の旅で『ボスと会話する方法』として各地に広まったものである」)があり、確かにそれは妥当と言ってよい解釈なのだけど、「作者の都合」という理由の方が俺にはより合理的だと感じられるので採用できない
5話:1期でみた。茶番がひどい
6話: 「そうかもね」の声が震えてるように聞こえたけど、最後の後ろ姿は楽しげだった なにもわからん
7話:チーターが直角に曲がるときに尻尾を使ってない、全然ダメ
8話:1話で「動いてるのを見るとあんまり違和感ない」と言ったけど、やっぱりジェーンだけ慣れない
9話
一般にいわれているような、「イエイヌが可愛そうすぎてダメ」とはあまり思わなかった。ただ、ビーストとの戦闘~別れまでの流れが極めて不自然に感じた。
カラカルが登場時に「そんなんじゃ任せるわけにはいかない」というセリフを言うのだけど、この時点このタイミングでこれを言われたらキレるか心折れるかするでしょ。で、普通に見れば、イエイヌはこのことをきっかけにして再考して別れを選んだ、と考えるべきなんだけど、この間にクソどうでもいい状況説明セリフが入っていてこれが本当に最悪。
10話
・木刀クソワロタw
・「アライ""さん""」「フェネック""さん""」
・フェネックの声が低すぎる。1期のガイドブックに、監督の指示で想定より高くしたとあり、なぜそのような指示が出たのかの理由も書かれていたのだけど、このことが完全に忘れられていそう。ダメ
◎11話までを見た時点での感想
どう繕っても俺の主観的には面白いとはいえないし、どちらかといえば好きなタイプの作品ではないけど、まあ最後まで付き合おうとは思える程度には見れるし、最終話次第ではポジティブな評価にもなりうる
◎11話まで見た時点で最終話に望んでいたこと
最終話で絶対に必要なのは「ビーストとの和解」くらいで、存在ことが強く望まれるのが「旅の結末(区切り)」と「主人公の出自への言及」。最低この3つがあれば十分で、あとはかばんや過去に関する情報が適当に明かされれば完璧だけど、その辺はさすがに望み薄だろう。(1期はかばんの物語であり、過去やミライさんのことがほとんど明かされなかったのと同様に、2期はキュルルの物語なので)
・ビーストとの和解
彼女を救うべきだと(勝手に)考えているのは我々"視聴者"だけだから、別に倒してしまってもいいんだよ(視聴者と作中人物の認識の差を利用して、視聴者を曇らせる仕掛けは俺は好きなので)。
けれど主人公がスケッチブックに書いてしまった以上、それでは"あんまり"だろう。
そもそも「理解し合えないもの」としては既にセルリアンが存在するので※、最後まで和解できないものをわざわざ新しく持ち出す必要がない。
(※余談だが、このことについてアプリ勢が、エプロン愛好会のグループクエを指して「アプリのセルリアンはそうではなかった」と1期をsageる文脈で言及することがあるが、俺にはそうは思えない)
・旅の終わり
一番簡単なところでは、ヒトの痕跡が見つかり今後目指すべき方向性が定まるとか。とはいえ1期でもなあなあではあるので「俺たちの旅はまだ始まったばかりだ!~完~」でもよく、それなら例えば明示的に「次の1枚」を見せるなどして、今までと変わらずに旅が続いていくことを示す方が好ましい。
・主人公の出自
1期では最終話で10秒で説明されていたように、そのレベルで良いので言及する方が収まりが良い。これは例えばかばんに憶測を述べさせるのが一番簡単そうだが、いくらでもやりようはありそう
◎最終話を見ての感想
・は?
上で言ったことなに1つできてないやんけ
・それはそれとして、クソアニメではない
物語としての体裁が最低限整っているので、1期を見なかったことにしつつ、これ単体で、特に減点方式で採点すると、あんまり悪い点数にはならないように思う。
少なくとも俺が明確に減点するのは、上の感想で挙げたもののうち、1話の茶番、5話の茶番、9話、の3つだけ。
まあはい
巷ではクソクソ言われてるけど、別にクソアニメではなくて、ただ面白いところが1つもないだけ
最終話放送直前に11話まで一気に見て、そのあと時間を置いて最終話を見た。
◎11話まで見た時点での感想
1話
・キービジュアルの画像を見てだいぶ厳しいと思っていたけど、実際に動いてるの見たらそうでもなかった。これは1期でも同様の感想を抱いたので、そもそも3Dモデルを静止画にすること自体か、あるいはそれに対する俺の認識がダメそう。
・カラカルの声が幼すぎる
→と最初は思ったけど、あのキャラ付けならこれでもまあいいかなあという感じ
・「食べないでくださ~い」←は?
このことについて、作中だけで妥当に解釈できるという指摘(例えば、「1期最終話以降の旅で『ボスと会話する方法』として各地に広まったものである」)があり、確かにそれは妥当と言ってよい解釈なのだけど、「作者の都合」という理由の方が俺にはより合理的だと感じられるので採用できない
5話:1期でみた。茶番がひどい
6話: 「そうかもね」の声が震えてるように聞こえたけど、最後の後ろ姿は楽しげだった なにもわからん
7話:チーターが直角に曲がるときに尻尾を使ってない、全然ダメ
8話:1話で「動いてるのを見るとあんまり違和感ない」と言ったけど、やっぱりジェーンだけ慣れない
9話
一般にいわれているような、「イエイヌが可愛そうすぎてダメ」とはあまり思わなかった。ただ、ビーストとの戦闘~別れまでの流れが極めて不自然に感じた。
カラカルが登場時に「そんなんじゃ任せるわけにはいかない」というセリフを言うのだけど、この時点このタイミングでこれを言われたらキレるか心折れるかするでしょ。で、普通に見れば、イエイヌはこのことをきっかけにして再考して別れを選んだ、と考えるべきなんだけど、この間にクソどうでもいい状況説明セリフが入っていてこれが本当に最悪。
10話
・木刀クソワロタw
・「アライ""さん""」「フェネック""さん""」
・フェネックの声が低すぎる。1期のガイドブックに、監督の指示で想定より高くしたとあり、なぜそのような指示が出たのかの理由も書かれていたのだけど、このことが完全に忘れられていそう。ダメ
◎11話までを見た時点での感想
どう繕っても俺の主観的には面白いとはいえないし、どちらかといえば好きなタイプの作品ではないけど、まあ最後まで付き合おうとは思える程度には見れるし、最終話次第ではポジティブな評価にもなりうる
◎11話まで見た時点で最終話に望んでいたこと
最終話で絶対に必要なのは「ビーストとの和解」くらいで、存在ことが強く望まれるのが「旅の結末(区切り)」と「主人公の出自への言及」。最低この3つがあれば十分で、あとはかばんや過去に関する情報が適当に明かされれば完璧だけど、その辺はさすがに望み薄だろう。(1期はかばんの物語であり、過去やミライさんのことがほとんど明かされなかったのと同様に、2期はキュルルの物語なので)
・ビーストとの和解
彼女を救うべきだと(勝手に)考えているのは我々"視聴者"だけだから、別に倒してしまってもいいんだよ(視聴者と作中人物の認識の差を利用して、視聴者を曇らせる仕掛けは俺は好きなので)。
けれど主人公がスケッチブックに書いてしまった以上、それでは"あんまり"だろう。
そもそも「理解し合えないもの」としては既にセルリアンが存在するので※、最後まで和解できないものをわざわざ新しく持ち出す必要がない。
(※余談だが、このことについてアプリ勢が、エプロン愛好会のグループクエを指して「アプリのセルリアンはそうではなかった」と1期をsageる文脈で言及することがあるが、俺にはそうは思えない)
・旅の終わり
一番簡単なところでは、ヒトの痕跡が見つかり今後目指すべき方向性が定まるとか。とはいえ1期でもなあなあではあるので「俺たちの旅はまだ始まったばかりだ!~完~」でもよく、それなら例えば明示的に「次の1枚」を見せるなどして、今までと変わらずに旅が続いていくことを示す方が好ましい。
・主人公の出自
1期では最終話で10秒で説明されていたように、そのレベルで良いので言及する方が収まりが良い。これは例えばかばんに憶測を述べさせるのが一番簡単そうだが、いくらでもやりようはありそう
◎最終話を見ての感想
・は?
上で言ったことなに1つできてないやんけ
・それはそれとして、クソアニメではない
物語としての体裁が最低限整っているので、1期を見なかったことにしつつ、これ単体で、特に減点方式で採点すると、あんまり悪い点数にはならないように思う。
少なくとも俺が明確に減点するのは、上の感想で挙げたもののうち、1話の茶番、5話の茶番、9話、の3つだけ。
まあはい