けもフレ
騒動とは関係ない話
(というか騒動以前に考えていた話)
フェネックとアライさんの出会いについて妄想していた。
考えてたのは、「フェネックがなにかの困難に直面し挫折しかけているときにアライさんが現れて、その無根拠な自信だとか成功を無邪気に信じるさまだとかに感化されて云々」という感じの、おそらくかなりありがちなものだったのだけど、よく考えるとこの程度じゃフェネックはアライさんに惚れそうにない
というのも、フェネアラ屈指の名シーンと名高い[要出典]アプリ版9章のやり取りをよく見てほしい。
====以下引用====
「やー、なんで私、こんなことグチグチ考えちゃうかなー。あはは、不思議だよねー」
「フェネックはジャパリパークが大好きなのだ。でも、(プレイヤー名)たちも大好きなのだ。だから、グチグチ考えるのも不思議ではないのだ」
「やー………そ、そうなのかなー?」
「とにかく――――心配は無用なのだ、フェネック。どんな大変なことになったって、アライさんが絶対に全部まるごとなんとかしてやるのだ。だから今は迷わずアライさんについてくるのだー!!」
「………………。やー……うん、やっぱアライさんには、かなわないなー」
====以上引用====
もちろん時系列が出会いよりも後である以上、この会話は出会いの時点ではもちろん存在していないのだけど、あのフェネックが誰かと行動をともにするという意思を固めるためには、少なくともこれと同程度くらいには心を動かされているべきだと思うのだ。
だとするとそれには上の会話から見て取れるとおり、単にアライさんの気丈さを出すだけではなく、"肯定"のフェーズが必要になる。(これはアニメ版のサーかば周りでは幾度も話題になっていることだけれど)
そうなる自然な流れを、今の俺にはちょっと思いつけなかった。また今度考えよう
(2017/11/05追記)
「フェネックが困難に直面し~」というシチュエーションの困難さについてさらに言えば、「アライさんが問題解決に直接的な貢献をしてはならない」「もし最終的に問題が解決されるならば、それは奇跡や偶然によるものではなく、かつ、それまでのフェネックの努力をないがしろにするものではない必要がある」という2点も外せない。
後者については解説は不要と思われるが、前者については、要するに、この状況でアライさんが"役に立ってしまう"と、フェネックの立つ瀬がなくなるためだ。
(追記終わり)
フェネアラについて考えた別の話題
少し前ツライさんが流行った時に、つらい目にあう役回りはフェネックの方でしょ、と思った。
フェネックにとってのアライさんは「自分には決して真似出来ない、自身の対極に位置する一種の理想像」であって、だからそんな彼女が曇るような事態は、たとえ自らをどれだけ犠牲にしてでも避けるだろうなと俺は思っているので。
だから、フェネックとアライさんだったら当然フェネックが先に死ぬ
フェネックを失ったアライさんが生きる気力を取り戻すまではなんやかんやのドラマになりそうだけど、アライさんを失ったフェネックはノータイムで後追い自殺するイメージがある。これもこういった考え方と関連してそう
……いやまあ、フェネックに自己投影しすぎという指摘はまったくもってその通りとしか言いようがないんですがね。
(というか騒動以前に考えていた話)
フェネックとアライさんの出会いについて妄想していた。
考えてたのは、「フェネックがなにかの困難に直面し挫折しかけているときにアライさんが現れて、その無根拠な自信だとか成功を無邪気に信じるさまだとかに感化されて云々」という感じの、おそらくかなりありがちなものだったのだけど、よく考えるとこの程度じゃフェネックはアライさんに惚れそうにない
というのも、フェネアラ屈指の名シーンと名高い[要出典]アプリ版9章のやり取りをよく見てほしい。
====以下引用====
「やー、なんで私、こんなことグチグチ考えちゃうかなー。あはは、不思議だよねー」
「フェネックはジャパリパークが大好きなのだ。でも、(プレイヤー名)たちも大好きなのだ。だから、グチグチ考えるのも不思議ではないのだ」
「やー………そ、そうなのかなー?」
「とにかく――――心配は無用なのだ、フェネック。どんな大変なことになったって、アライさんが絶対に全部まるごとなんとかしてやるのだ。だから今は迷わずアライさんについてくるのだー!!」
「………………。やー……うん、やっぱアライさんには、かなわないなー」
====以上引用====
もちろん時系列が出会いよりも後である以上、この会話は出会いの時点ではもちろん存在していないのだけど、あのフェネックが誰かと行動をともにするという意思を固めるためには、少なくともこれと同程度くらいには心を動かされているべきだと思うのだ。
だとするとそれには上の会話から見て取れるとおり、単にアライさんの気丈さを出すだけではなく、"肯定"のフェーズが必要になる。(これはアニメ版のサーかば周りでは幾度も話題になっていることだけれど)
そうなる自然な流れを、今の俺にはちょっと思いつけなかった。また今度考えよう
(2017/11/05追記)
「フェネックが困難に直面し~」というシチュエーションの困難さについてさらに言えば、「アライさんが問題解決に直接的な貢献をしてはならない」「もし最終的に問題が解決されるならば、それは奇跡や偶然によるものではなく、かつ、それまでのフェネックの努力をないがしろにするものではない必要がある」という2点も外せない。
後者については解説は不要と思われるが、前者については、要するに、この状況でアライさんが"役に立ってしまう"と、フェネックの立つ瀬がなくなるためだ。
(追記終わり)
フェネアラについて考えた別の話題
少し前ツライさんが流行った時に、つらい目にあう役回りはフェネックの方でしょ、と思った。
フェネックにとってのアライさんは「自分には決して真似出来ない、自身の対極に位置する一種の理想像」であって、だからそんな彼女が曇るような事態は、たとえ自らをどれだけ犠牲にしてでも避けるだろうなと俺は思っているので。
だから、フェネックとアライさんだったら当然フェネックが先に死ぬ
フェネックを失ったアライさんが生きる気力を取り戻すまではなんやかんやのドラマになりそうだけど、アライさんを失ったフェネックはノータイムで後追い自殺するイメージがある。これもこういった考え方と関連してそう
……いやまあ、フェネックに自己投影しすぎという指摘はまったくもってその通りとしか言いようがないんですがね。
感想
CtG 1~3
佳作
・『子ひつじは迷わない』の波動を感じた
例えば2巻P214あたりの冬風とのやりとりとか、"頭のいい"女性キャラクター各位とか。
『子ひつじ』のことはもうあまり覚えていないけど、今作よりもそちらの方が好みだったような気がする。
2巻まで読んだところで、冬風をもっと登場させてくれ~~って思ったけど、だったら『子ひつじ』を読んでろという話である。
・ロジカル
だからこそ3巻P285の主人公のセリフが印象的。
それから、「(ハダリーズは)なんでもできてしまうからこそ、云々」みたいなセリフも印象に残っているのだが、どこにあるか見つからず。
・最近流行りの(?)VRMMORPG俺TUEEハーレムモノ(?)
の側面もある(?)
個人的には俺TUEEが鼻につくこともなく、ラブコメとSFの感じが共存していて問題なく読めた。
本文中にもSF作品のタイトルのパロディーが何か所も見てとれたし、やはりSFを意識して書かれたものなのだろうなと思った。
・SF
3巻でトンデモSF設定が登場するけどそれはそれとして、2巻3巻のメインテーマも、SFでよくみるやつなので(例えば春羽がロボット(アンドロイド)であると仮定すると。)SF風味は結構強いと思う。
・1巻P283からのバグの説明(1巻のネタバレのため反転)
2巻以降はモノローグで説明されているからいいとして、主人公以外のキャラクタの口から流暢に説明されてしまうのはよくないのでは。
座標バグはまあ、主人公のコマンド入力が全て見えている状態で、内部処理の概要を知ってさえいるなら、「失敗時の座標書き換え処理のタイミングをずらしてるんだろうな」と予測できるだろうというのはわかる。
装填バグの方は、「内部データがバグってること」「装填可能判定の処理ルーチン」の両方を知っているなら、バグに気づいていて然るべきだし、重大なバグなので修正されるべきものだろう。例えば後者のことを知らないとして、「徹甲弾はIDがバグってるので、おそらくそれに起因するバグだと思いますが……、やはりそうですね、装填が可能かどうかをIDの先頭2文字で判別する仕様になっています」とかにした方が自然だと思うのだが(もちろんそれはそれで「そんな短時間でソースが読めるかよ」とのツッコミは必至だが)。
佳作
・『子ひつじは迷わない』の波動を感じた
例えば2巻P214あたりの冬風とのやりとりとか、"頭のいい"女性キャラクター各位とか。
『子ひつじ』のことはもうあまり覚えていないけど、今作よりもそちらの方が好みだったような気がする。
2巻まで読んだところで、冬風をもっと登場させてくれ~~って思ったけど、だったら『子ひつじ』を読んでろという話である。
・ロジカル
だからこそ3巻P285の主人公のセリフが印象的。
それから、「(ハダリーズは)なんでもできてしまうからこそ、云々」みたいなセリフも印象に残っているのだが、どこにあるか見つからず。
・最近流行りの(?)VRMMORPG俺TUEEハーレムモノ(?)
の側面もある(?)
個人的には俺TUEEが鼻につくこともなく、ラブコメとSFの感じが共存していて問題なく読めた。
本文中にもSF作品のタイトルのパロディーが何か所も見てとれたし、やはりSFを意識して書かれたものなのだろうなと思った。
・SF
3巻でトンデモSF設定が登場するけどそれはそれとして、2巻3巻のメインテーマも、SFでよくみるやつなので(例えば春羽がロボット(アンドロイド)であると仮定すると。)SF風味は結構強いと思う。
・1巻P283からのバグの説明(1巻のネタバレのため反転)
2巻以降はモノローグで説明されているからいいとして、主人公以外のキャラクタの口から流暢に説明されてしまうのはよくないのでは。
座標バグはまあ、主人公のコマンド入力が全て見えている状態で、内部処理の概要を知ってさえいるなら、「失敗時の座標書き換え処理のタイミングをずらしてるんだろうな」と予測できるだろうというのはわかる。
装填バグの方は、「内部データがバグってること」「装填可能判定の処理ルーチン」の両方を知っているなら、バグに気づいていて然るべきだし、重大なバグなので修正されるべきものだろう。例えば後者のことを知らないとして、「徹甲弾はIDがバグってるので、おそらくそれに起因するバグだと思いますが……、やはりそうですね、装填が可能かどうかをIDの先頭2文字で判別する仕様になっています」とかにした方が自然だと思うのだが(もちろんそれはそれで「そんな短時間でソースが読めるかよ」とのツッコミは必至だが)。
感想
正解するカド
うーん
・野崎まど脚本ということで気になっていた
のだけど、評価を見ているとクソアニメだとの意見が多く、どういうことなのと思いながら視聴
野崎作品は『2』までの6冊と、ご縁、know、劇場は読んでいる
(すなわちこの記事を書いている時点で刊行されているもののうち、バビロンとファンタジスタドール以外のすべて)
『2』までの6冊の簡易な感想はここ
・前半は面白い
地球外生命体とのファーストコンタクト、それによりもたらされる超科学的アイテム、そういった正統派SF
・(前半の記憶を消してから見れば)後半も面白い
一点だけどうしても納得できないのは、エピローグの「ザシュニナがもたらしたすべての超科学的アイテムが(手作りのワムを含めて)すべてその機能を失った」というところくらいで、他はまあ流せる範囲かなと。
唐突にデウスエクスマキナが降臨して圧倒的パワーをもって問題を解決するというラストの展開は、野崎まどっぽさを感じた。いいか悪いかは知らん。
沙羅花さんが異方存在であることは、見てたときには唐突だなあとしか思わなかったけれど、改めて考えると最終話のために必要なものだから、正当性より必要性の方が強くみえて、作者の都合でキャラクターが動かされた感じがする。
最終話のBL(?)展開は、むしろこの手のストーリーにありがちな、人間でない存在が感情というものに触れ、自身を制御できないほどに大きなものとなるというものなので、別に不思議ではない。ザシュニナが読書を通して感情らしきものを獲得していっているさまは、ストーリーが進む毎に彼が"人間らしさ"を増していることによっても描写されているので。
・ただ前半と後半が致命的に噛み合わない
前半は、超科学的アイテムによる世界の変革を、つまり(ワムに関連して国連がどうこうというくだりで顕著なように)世界規模の物語を書いていたのだが、後半は一転して、ザシュニナと彼を取り巻くごく個人的な物語に終始しているからだ。
後半をこういう形にするのなら前半でここまで"世界"を描写する必要はないし、そうでないなら後半でももう少し"世界"のことを気にかけて欲しかった
・スピンオフのノベライズが面白いらしい
そのうち読みたい
うーん
・野崎まど脚本ということで気になっていた
のだけど、評価を見ているとクソアニメだとの意見が多く、どういうことなのと思いながら視聴
野崎作品は『2』までの6冊と、ご縁、know、劇場は読んでいる
(すなわちこの記事を書いている時点で刊行されているもののうち、バビロンとファンタジスタドール以外のすべて)
『2』までの6冊の簡易な感想はここ
・前半は面白い
地球外生命体とのファーストコンタクト、それによりもたらされる超科学的アイテム、そういった正統派SF
・(前半の記憶を消してから見れば)後半も面白い
一点だけどうしても納得できないのは、エピローグの「ザシュニナがもたらしたすべての超科学的アイテムが(手作りのワムを含めて)すべてその機能を失った」というところくらいで、他はまあ流せる範囲かなと。
唐突にデウスエクスマキナが降臨して圧倒的パワーをもって問題を解決するというラストの展開は、野崎まどっぽさを感じた。いいか悪いかは知らん。
沙羅花さんが異方存在であることは、見てたときには唐突だなあとしか思わなかったけれど、改めて考えると最終話のために必要なものだから、正当性より必要性の方が強くみえて、作者の都合でキャラクターが動かされた感じがする。
最終話のBL(?)展開は、むしろこの手のストーリーにありがちな、人間でない存在が感情というものに触れ、自身を制御できないほどに大きなものとなるというものなので、別に不思議ではない。ザシュニナが読書を通して感情らしきものを獲得していっているさまは、ストーリーが進む毎に彼が"人間らしさ"を増していることによっても描写されているので。
・ただ前半と後半が致命的に噛み合わない
前半は、超科学的アイテムによる世界の変革を、つまり(ワムに関連して国連がどうこうというくだりで顕著なように)世界規模の物語を書いていたのだが、後半は一転して、ザシュニナと彼を取り巻くごく個人的な物語に終始しているからだ。
後半をこういう形にするのなら前半でここまで"世界"を描写する必要はないし、そうでないなら後半でももう少し"世界"のことを気にかけて欲しかった
・スピンオフのノベライズが面白いらしい
そのうち読みたい