引用
『ターン』北村薫 より
==以下引用==
自転車に乗れるようになると、自然、遠出をしたくなるでしょう。(中略) そこを抜けると小学校がある。隣町の小学校。最初に、それを見た時に、不思議な気持ちになった。(中略) 自分たちの学校と違うでしょう。別の世界に入った気がしたの。電車に乗って来たのなら納得出来る。だって電車は、世界と世界を繋ぐものだから。わたし達を《ここ》とは違う、《別のところ》へ運ぶものだから」
「(中略) つまり、子供の君にとって、世界は自分の周りにある小さなものだったんだ。島だったんだ。つまり、《別の小学校》は、《別の島にある筈のもの》だったんだ」
「そうそう。それが地続きのところに現れた。だから、伝説の建物でも見たような、変な気がしたのよね」
==引用終わり==
物語全体はまあ普通だったけど、細かな表現とかがきれいな部分がたくさんあったのが目に留まった。
他にもいろいろあったけど忘れた。
==以下引用==
自転車に乗れるようになると、自然、遠出をしたくなるでしょう。(中略) そこを抜けると小学校がある。隣町の小学校。最初に、それを見た時に、不思議な気持ちになった。(中略) 自分たちの学校と違うでしょう。別の世界に入った気がしたの。電車に乗って来たのなら納得出来る。だって電車は、世界と世界を繋ぐものだから。わたし達を《ここ》とは違う、《別のところ》へ運ぶものだから」
「(中略) つまり、子供の君にとって、世界は自分の周りにある小さなものだったんだ。島だったんだ。つまり、《別の小学校》は、《別の島にある筈のもの》だったんだ」
「そうそう。それが地続きのところに現れた。だから、伝説の建物でも見たような、変な気がしたのよね」
==引用終わり==
物語全体はまあ普通だったけど、細かな表現とかがきれいな部分がたくさんあったのが目に留まった。
他にもいろいろあったけど忘れた。
ゲーム
A木氏に面白い論理ゲームを教えてもらったのでメモ
二人零和有限確定完全情報ゲームなので必勝法は理論上存在する。
ゲームの木は(25!)^2よりは小さい
・2,3,7のみを素因数に持つ、72以下の自然数25個が各1つ書かれたカード25枚を使う
2 3 4 6 7
8 9 12 14 16
18 21 24 27 28
32 35 36 42 48
54 56 63 64 72
・前半戦
ランダムに先攻後攻を決める。25枚の中から
先攻が1枚選ぶ→後攻が2枚選ぶ→先攻が2枚選ぶ→…→後攻が2枚選ぶ→先攻が1枚選ぶ
として、互いに持ち札が12枚ある状況にする。場に残った1枚が後半戦での最初の場札となる。
・後半戦
トランプの大富豪(大貧民)のように進行する。
先攻から、場札の約数の書かれたカードを場に出すことができる。これが新たな場札となる。
出せない場合・出さない場合はパスとなり、相手が自由に場にカードを出すことができる。
数回遊んだだけで、定石もなにも見えていないのだけど、かなり奥が深そう
友人曰く、コンピュータを戦う限りでは、先攻が2をとって後攻が3,7を取り最初の場札は72、となるパターンが多いらしい
二人零和有限確定完全情報ゲームなので必勝法は理論上存在する。
ゲームの木は(25!)^2よりは小さい
・2,3,7のみを素因数に持つ、72以下の自然数25個が各1つ書かれたカード25枚を使う
2 3 4 6 7
8 9 12 14 16
18 21 24 27 28
32 35 36 42 48
54 56 63 64 72
・前半戦
ランダムに先攻後攻を決める。25枚の中から
先攻が1枚選ぶ→後攻が2枚選ぶ→先攻が2枚選ぶ→…→後攻が2枚選ぶ→先攻が1枚選ぶ
として、互いに持ち札が12枚ある状況にする。場に残った1枚が後半戦での最初の場札となる。
・後半戦
トランプの大富豪(大貧民)のように進行する。
先攻から、場札の約数の書かれたカードを場に出すことができる。これが新たな場札となる。
出せない場合・出さない場合はパスとなり、相手が自由に場にカードを出すことができる。
数回遊んだだけで、定石もなにも見えていないのだけど、かなり奥が深そう
友人曰く、コンピュータを戦う限りでは、先攻が2をとって後攻が3,7を取り最初の場札は72、となるパターンが多いらしい
ポケダン
ストーリーの重要な要素について比較。
救助隊は4周か5周くらいしてるんだけど、探検隊は数年前に1度したきりで、全然記憶に残ってなかったから、動画を見て復習した。
マグナゲートはググって得られた断片情報から補完しただけだから多少違うかも。
・救助隊
主人公は世界を救うために、自らの意志でポケモンになった
しかしそのことを覚えておらず、終盤まで明かされない
主人公がどういう人間だったかは結局明かされない
主人公は、使命が終われば人間の世界に戻らなければならないことを言い出せなかった
主人公は自らの意志でポケモンの世界に留まることを選択した
・探検隊
主人公は偶然の事故(?)でポケモンになった
終盤になって、主人公がどういう人間だったかを知るポケモンが現れる
そのため、主人公がどういう人間だったか作中では語られないが、主人公達は話を聞いた可能性がある
主人公は、使命が終われば自分の存在が消えるかもしれないことを言い出せなかった
主人公は人間の世界に帰るが、第三者が主人公とパートナーの願いを叶えるという形で、ポケモンの世界に戻ってくる
・マグナゲート
主人公は世界を(誰かを)救うために、自らの意志でポケモンになった
そのことをきちんと覚えている
主人公以外にも、同じ理由で人間の世界からポケモンの世界に来た者が複数いる
が、それはどこか別の町のお話。作中には登場しない
主人公がどういう人間だったかは結局明かされない
使命が終わればどうなるか、主人公はぎりぎりまで知らなかった
主人公は人間の世界に帰るが、パートナーが行動を起こし、それに応える形でポケモンの世界に戻ってくる
なるほど、確かにマグナもストーリーは悪く無いみたいだ。ストーリーは。
でもやっぱり、パートナーの「信じてくれてる感じ」が一番強いのは救助隊だよなーというのは思うのです。
救助隊は4周か5周くらいしてるんだけど、探検隊は数年前に1度したきりで、全然記憶に残ってなかったから、動画を見て復習した。
マグナゲートはググって得られた断片情報から補完しただけだから多少違うかも。
・救助隊
主人公は世界を救うために、自らの意志でポケモンになった
しかしそのことを覚えておらず、終盤まで明かされない
主人公がどういう人間だったかは結局明かされない
主人公は、使命が終われば人間の世界に戻らなければならないことを言い出せなかった
主人公は自らの意志でポケモンの世界に留まることを選択した
・探検隊
主人公は偶然の事故(?)でポケモンになった
終盤になって、主人公がどういう人間だったかを知るポケモンが現れる
そのため、主人公がどういう人間だったか作中では語られないが、主人公達は話を聞いた可能性がある
主人公は、使命が終われば自分の存在が消えるかもしれないことを言い出せなかった
主人公は人間の世界に帰るが、第三者が主人公とパートナーの願いを叶えるという形で、ポケモンの世界に戻ってくる
・マグナゲート
主人公は世界を(誰かを)救うために、自らの意志でポケモンになった
そのことをきちんと覚えている
主人公以外にも、同じ理由で人間の世界からポケモンの世界に来た者が複数いる
が、それはどこか別の町のお話。作中には登場しない
主人公がどういう人間だったかは結局明かされない
使命が終わればどうなるか、主人公はぎりぎりまで知らなかった
主人公は人間の世界に帰るが、パートナーが行動を起こし、それに応える形でポケモンの世界に戻ってくる
なるほど、確かにマグナもストーリーは悪く無いみたいだ。ストーリーは。
でもやっぱり、パートナーの「信じてくれてる感じ」が一番強いのは救助隊だよなーというのは思うのです。
鈍感
これまたちゃんと読んだことがないものへのステレオタイプな見方。
鈍感主人公ラノベへの違和感。
読者視点で、主人公のことよりもヒロインのことの方が理解できるという点だ。
普通一人称視点物語なら、理解できないのは、主人公のことよりも他の人物の考えていることのはず。
主人公が、「相手はこう思ってるはず」と考える場面はあるとしても、基本的に読者は相手の思考を、主人公よりも多く察することはできない。(読者と主人公の間に情報差がある場合を除く)
つまり「相手→主人公→読者」と、主人公というフィルタを介して読者に届くはず。
フィルタというか、ある意味では「解説」。読者よりも主人公のほうが相手のことをよくわかってるはずだから。
ところが主人公を鈍感にすると、相手の心情を、主人公を介さずに読者へ提示する必要に迫られてしまう。
「解説」ができない分、どうしても"わかりやすく"せざるを得ず、そうするとさらに、読者から主人公への「なんでわからないんだよ」感が募る悪循環。
まあそんな感じだと思う。
わかりやすいキャラクタっていうのは、そうであることを共通理解としてネタへの踏み台として使う、っていうのでなければ、あまり好きではない、という俺の嗜好。
ここまで書いて、"わかりやすさ"を逆手に取ってひっくり返すのも有りかなーと思ったけど秋期限定っぽい。
鈍感主人公ラノベへの違和感。
読者視点で、主人公のことよりもヒロインのことの方が理解できるという点だ。
普通一人称視点物語なら、理解できないのは、主人公のことよりも他の人物の考えていることのはず。
主人公が、「相手はこう思ってるはず」と考える場面はあるとしても、基本的に読者は相手の思考を、主人公よりも多く察することはできない。(読者と主人公の間に情報差がある場合を除く)
つまり「相手→主人公→読者」と、主人公というフィルタを介して読者に届くはず。
フィルタというか、ある意味では「解説」。読者よりも主人公のほうが相手のことをよくわかってるはずだから。
ところが主人公を鈍感にすると、相手の心情を、主人公を介さずに読者へ提示する必要に迫られてしまう。
「解説」ができない分、どうしても"わかりやすく"せざるを得ず、そうするとさらに、読者から主人公への「なんでわからないんだよ」感が募る悪循環。
まあそんな感じだと思う。
わかりやすいキャラクタっていうのは、そうであることを共通理解としてネタへの踏み台として使う、っていうのでなければ、あまり好きではない、という俺の嗜好。
ここまで書いて、"わかりやすさ"を逆手に取ってひっくり返すのも有りかなーと思ったけど秋期限定っぽい。
ゲーム
きちんと知らないものを想像で語るのは良くないとわかっているけれど。
昨今流行りの(?)、ゲーム(ネトゲ)世界に行く話について。
そういう世界は、「複雑な現実世界と違って、規定の可視パラメータと厳格なルールの中で勝負しよう」っていう感じなんだと思う。
ルールの隙をついた下克上が起こることがあるとしても、基本的には、勝負する以前の時点でパラメータによって勝敗は決している。
そしてそのパラメータは、基本的には「やりこめば」伸びていく。(簡略化のために、課金云々はおいておく)
つまり、「努力」が間違いなく「実力」に反映される世界。現実世界と比べるととても魅力的だ。
そう考えるとやっぱり、「数学なんて所詮ゲーム」という俺の迷言は、俺の中ではかなりしっくりくる。
文句のつけようがないほど厳格なルールの中で遊ぶし、努力は間違いなく実力に反映される。
時として「こっちのほうが面白いんじゃね」って思ったらルールを変えて一人遊びもできる。
何が言いたいかというと、数学って本質的には、ネトゲと同じくらい中毒性を持つものだよねと。
ゲームばかりして勉強していない自分への戒めを込めて。
昨今流行りの(?)、ゲーム(ネトゲ)世界に行く話について。
そういう世界は、「複雑な現実世界と違って、規定の可視パラメータと厳格なルールの中で勝負しよう」っていう感じなんだと思う。
ルールの隙をついた下克上が起こることがあるとしても、基本的には、勝負する以前の時点でパラメータによって勝敗は決している。
そしてそのパラメータは、基本的には「やりこめば」伸びていく。(簡略化のために、課金云々はおいておく)
つまり、「努力」が間違いなく「実力」に反映される世界。現実世界と比べるととても魅力的だ。
そう考えるとやっぱり、「数学なんて所詮ゲーム」という俺の迷言は、俺の中ではかなりしっくりくる。
文句のつけようがないほど厳格なルールの中で遊ぶし、努力は間違いなく実力に反映される。
時として「こっちのほうが面白いんじゃね」って思ったらルールを変えて一人遊びもできる。
何が言いたいかというと、数学って本質的には、ネトゲと同じくらい中毒性を持つものだよねと。
ゲームばかりして勉強していない自分への戒めを込めて。