感想
鬼滅の刃
数日前に人から借りて全巻一気読み。以下うろ覚え感想
・面白かった。ただ、世間であれだけ持て囃されている理由はよくわからなかった。
どういう要素が人々にウケているのかよくわからなかった、という意味。
思想?(ちゃんと考えてないのでわからず)
・敵側も背景をしっかりかくのは、鬼と鬼殺隊の違いが紙一重であることを表すためなんだろうか。
キャラクターの背景が明らかになることは、物語に深みが増すので(?)良いことだと思うけど、どこかの回で2話続けて回想に使ってたのは長くない?って思った。(上弦の一はメインストーリーに関わるので例外)
・一方でラスボスだけは背景描写がほぼなく、うーんとなった。
ラスボスの思想がよくわからないので、最後に主人公を"説得"しようとするシーンを見ても、お前そんなこと思っとったか?となってしまった。ただただ自分本位なキャラクターとして描かれているだけで、完全な鬼を作りたいというマッドサイエンティスト的な興味や、他者に対する不信感、人間に対する絶望などを持っている描写はなかったように思うので。
ラスボスだけ背景をかかないことで、共感できないキャラクター、絶対的な悪を表現するのはありだと思うんだけど、そういう意図なんだろうか。
・序盤、主人公が鬼殺隊に入るまで(良い悪いは特に含まない意味で)比較的スローペースにストーリーが進むなあと思っていたんだけど、終盤は延々バトルしてるので別にそんなことはなかったのかもしれない。
俺はこの手のバトルメインの漫画をあまり読まないので、これが一般的なのか冗長なのか区別がつかない。
・中盤までは、ピンチには妹が登場して戦闘に参加していたけど、後半では登場しなくなった。
これは良いことだと思う。……と10年前の俺なら断言していたと思うのだけど、その理由を言葉に表そうとしたら本当に良いことなのか分からなくなってしまった。何も分からない。
・ブレードランナーと絡めてなんかうまいこと言えないかなとちょっと思ったけど面倒になったのでやめた。
感想文なのに何も言葉にしてなくないか? 感想文を書くのが下手
数日前に人から借りて全巻一気読み。以下うろ覚え感想
・面白かった。ただ、世間であれだけ持て囃されている理由はよくわからなかった。
どういう要素が人々にウケているのかよくわからなかった、という意味。
思想?(ちゃんと考えてないのでわからず)
・敵側も背景をしっかりかくのは、鬼と鬼殺隊の違いが紙一重であることを表すためなんだろうか。
キャラクターの背景が明らかになることは、物語に深みが増すので(?)良いことだと思うけど、どこかの回で2話続けて回想に使ってたのは長くない?って思った。(上弦の一はメインストーリーに関わるので例外)
・一方でラスボスだけは背景描写がほぼなく、うーんとなった。
ラスボスの思想がよくわからないので、最後に主人公を"説得"しようとするシーンを見ても、お前そんなこと思っとったか?となってしまった。ただただ自分本位なキャラクターとして描かれているだけで、完全な鬼を作りたいというマッドサイエンティスト的な興味や、他者に対する不信感、人間に対する絶望などを持っている描写はなかったように思うので。
ラスボスだけ背景をかかないことで、共感できないキャラクター、絶対的な悪を表現するのはありだと思うんだけど、そういう意図なんだろうか。
・序盤、主人公が鬼殺隊に入るまで(良い悪いは特に含まない意味で)比較的スローペースにストーリーが進むなあと思っていたんだけど、終盤は延々バトルしてるので別にそんなことはなかったのかもしれない。
俺はこの手のバトルメインの漫画をあまり読まないので、これが一般的なのか冗長なのか区別がつかない。
・中盤までは、ピンチには妹が登場して戦闘に参加していたけど、後半では登場しなくなった。
これは良いことだと思う。……と10年前の俺なら断言していたと思うのだけど、その理由を言葉に表そうとしたら本当に良いことなのか分からなくなってしまった。何も分からない。
・ブレードランナーと絡めてなんかうまいこと言えないかなとちょっと思ったけど面倒になったのでやめた。
感想文なのに何も言葉にしてなくないか? 感想文を書くのが下手
漫画版2
けものフレンズ2
アニメと比較して随分良くなったという噂を聞いたので読んでみた。
うん、まあ全然違う話になってるので、そりゃいくらでも良くなりようはありますよねという感じだった。
以下、話数は全てアニメに準ずる(例えば「9話」といえば、アニメ9話、漫画13話14話のイエイヌの登場するストーリーを指す)
また、違いを述べる場合は、アニメをベースとして比較する言葉遣いをする。
読んだ直後に書いた感想
・俺はおおむねアニメより漫画の方が好きだけど、かなり内容が違うので、アニメのストーリーの方が好きだという人がいるのもわかる
・カラキュル派による二次創作か?
・6話でかばんさん周りの描写にかなり分量を割いてるのは好き好きありそう。これはかばんではなくキュルルの物語であるべきなので。
・作者が1期を好きだったのがよく分かる
・3話や7話の改変は、アニメと比べて純粋に良くなってると思う。
・9話はもはや原型を留めてなくて、9話ifという感じ。先に絵の存在が明示されていて、穏当な出会い方をしていれば、こういう展開もありえたよね。
・ビーストの扱いなど、重要な要素がかなり違っていて、たぶんアニメの作品テーマからは離れてしまっているように思う(後述)
1期が好きだった人とカラキュル派の人は読むべき。それ以外の人は別に……という感じ。
以下、アニメと見比べながらの感想。細かい良い変更はたくさんあるので、個人的に大きく改善されたと思う点と、悪くなった点を挙げる
アニメと比較して随分良くなったという噂を聞いたので読んでみた。
うん、まあ全然違う話になってるので、そりゃいくらでも良くなりようはありますよねという感じだった。
以下、話数は全てアニメに準ずる(例えば「9話」といえば、アニメ9話、漫画13話14話のイエイヌの登場するストーリーを指す)
また、違いを述べる場合は、アニメをベースとして比較する言葉遣いをする。
読んだ直後に書いた感想
・俺はおおむねアニメより漫画の方が好きだけど、かなり内容が違うので、アニメのストーリーの方が好きだという人がいるのもわかる
・カラキュル派による二次創作か?
・6話でかばんさん周りの描写にかなり分量を割いてるのは好き好きありそう。これはかばんではなくキュルルの物語であるべきなので。
・作者が1期を好きだったのがよく分かる
・3話や7話の改変は、アニメと比べて純粋に良くなってると思う。
・9話はもはや原型を留めてなくて、9話ifという感じ。先に絵の存在が明示されていて、穏当な出会い方をしていれば、こういう展開もありえたよね。
・ビーストの扱いなど、重要な要素がかなり違っていて、たぶんアニメの作品テーマからは離れてしまっているように思う(後述)
1期が好きだった人とカラキュル派の人は読むべき。それ以外の人は別に……という感じ。
以下、アニメと見比べながらの感想。細かい良い変更はたくさんあるので、個人的に大きく改善されたと思う点と、悪くなった点を挙げる
感想
『ただ、それだけでよかったんです』
うーん
以下ネタバレ
・あらすじを読んだ時点では「はいはい、『秘密を守って死んだ』系ねー」と思っていた。
何かを守るために自分の命を使ってミスリードさせるやつね、と。
まあこういうのはたいてい主人公を守るためなんですよねー
ちょっと違ったけどちょっと合ってた。
・中盤まで読むと、加害者である主人公の行動が概ね事実だということが明らかになる
とすると先の推理は成り立たなくなる。
ではなぜ死んだのかとなると、まあいじめと同調圧力が主題の話ですから、要するに「1億人から1発ずつ殴られて死ぬ」ってやつですね
ちょっと違ったけどちょっと合ってた。
・エピローグ
は?
いや、わかる、わかるよ。あくまで呪縛から解き放たれただけなので、支えが必要という文脈はわかるけど、それにしたってその結末はなくないか。
たとえばこのエピローグがなければ、うんうんバッドエンドのよい物語だね、となるし、せめて"彼女"が登場しなければ、うんうんよい友情物語だね、となるのだけど。
このレベルの"救い"を与えるなら、やはり家庭の側の描写がもっと必要であるように思う。
・よく考えると、『裏切り者』の解釈に無理がありそう
いつ"裏切った"? 少なくとも、彼が「助けを求めていた」タイミングは存在しないように俺には思えるが。いじめの話をしているのであれば【お前は何を言っているんだ】としか言いようがないのだけれど。
そんなに好きではないけど、たまに読むくらいならこういうのもありかなあと思っていたのだけど、最後でう~んとなってしまった。う~ん
うーん
以下ネタバレ
・あらすじを読んだ時点では「はいはい、『秘密を守って死んだ』系ねー」と思っていた。
何かを守るために自分の命を使ってミスリードさせるやつね、と。
まあこういうのはたいてい主人公を守るためなんですよねー
ちょっと違ったけどちょっと合ってた。
・中盤まで読むと、加害者である主人公の行動が概ね事実だということが明らかになる
とすると先の推理は成り立たなくなる。
ではなぜ死んだのかとなると、まあいじめと同調圧力が主題の話ですから、要するに「1億人から1発ずつ殴られて死ぬ」ってやつですね
ちょっと違ったけどちょっと合ってた。
・エピローグ
は?
いや、わかる、わかるよ。あくまで呪縛から解き放たれただけなので、支えが必要という文脈はわかるけど、それにしたってその結末はなくないか。
たとえばこのエピローグがなければ、うんうんバッドエンドのよい物語だね、となるし、せめて"彼女"が登場しなければ、うんうんよい友情物語だね、となるのだけど。
このレベルの"救い"を与えるなら、やはり家庭の側の描写がもっと必要であるように思う。
・よく考えると、『裏切り者』の解釈に無理がありそう
いつ"裏切った"? 少なくとも、彼が「助けを求めていた」タイミングは存在しないように俺には思えるが。いじめの話をしているのであれば【お前は何を言っているんだ】としか言いようがないのだけれど。
そんなに好きではないけど、たまに読むくらいならこういうのもありかなあと思っていたのだけど、最後でう~んとなってしまった。う~ん
感想
青春ブタ野郎シリーズ
アニメを見たら、なぜか劇場版を見に行こうと誘われ、気付いたら原作を読んでいた。
アニメの感想は前に書いたので原作との比較とか
・1巻P272、妹の部屋に関して「本棚に入りきらない小説が、あちこちに積まれている」という描写があるが、アニメではあまりそのように描かれていない(11話後半で、本の入ったダンボール箱がいくつか置かれている描写がある程度」
・アニメでは3話中盤、日記帳を机に放り投げるシーン、1巻P302でゴミ箱に捨てている
・3巻P44、「(浴衣を)一度は着ようとしたんだろ?」というやり取りがアニメ7話だと省略されている。理央という人物を(読者が)理解するにあたって重要そうなやり取りだと思うのだけど。
・3巻P102-107の翔子さんとの回想シーンがアニメではなくなってる?どこかで見た気がするので映画にまとめられてるのかも
・3巻P161の国見の彼女とのやりとりが、アニメ7話終盤ではカットされていて、彼女がなぜこの情報を手に入れることができたのかが明らかではなくなっている。というか俺には理由がわからなかった。
・3巻P300、雷のくだりが8話後半ではなくなってる。あまりにベタだからカットしたのだろうか。
・3巻P322、病院で翔子ちゃんとばったり出会う場面もなくなっている。アニメだけで(=5巻までで)話がまとまるように翔子さん関連エピソードは全部省略されてるのかな
・5巻P170-173、アニメでは文化祭の存在に触れられていない。それにともなって前後も整合性があるようにちょいちょい手が加わってる(例えば5巻P130に相当する場面での古賀との会話も内容が4巻P229のものになっている)。まあ4ページで終わる文化祭を登場させる意味を考えると。
・5巻P181、おんぶが11話ラストではカットされている。まあそれはそう(はい)
・5巻P215-225の麻衣さんとのやりとりがなくなってる。咲太とかえでの距離感に対する鋭い指摘とか
・5巻P234、キーアイテムである小説が、シリーズの途中の巻であることの説明がない。個人的には結構重要なポイントだと思うんだけど。本棚に入り切らない量の小説を持つ人物の蔵書になぜ欠けがあるのか、このことはきっと"かえで"にもずっと引っかかっているはずだ、といった類の想像をするために意味があると思うので。
・5巻P235、(咲太が想像する)メッセージカードの意味の描写がない。これもかなり重要だと思うのだけど。「既にあるものを捨てるかどうか」と「新しく作るかどうか」では、この結果を得るために必要なエネルギーが全然違うと思うので。
・5巻P272、喪失について言及があるが……うーん
・6巻P203、こんなところに伏線が
・7巻P74-78、P96など、今回の現象に関する詳しい言及が、映画ではカットされているような気がする?実際、俺は映画を見ただけだとこのあたりを誤解していた(その責任の半分は俺の読解力のなさによるものかもしれないけれど)
・7巻P82、指輪の話って映画であったっけ?(うろ覚え)
・7巻P105、「泣いたあとも頬に残っていた」という描写は映画ではなかった気がする。これも結構大きいと思う。
アニメを見たら、なぜか劇場版を見に行こうと誘われ、気付いたら原作を読んでいた。
アニメの感想は前に書いたので原作との比較とか
・1巻P272、妹の部屋に関して「本棚に入りきらない小説が、あちこちに積まれている」という描写があるが、アニメではあまりそのように描かれていない(11話後半で、本の入ったダンボール箱がいくつか置かれている描写がある程度」
・アニメでは3話中盤、日記帳を机に放り投げるシーン、1巻P302でゴミ箱に捨てている
・3巻P44、「(浴衣を)一度は着ようとしたんだろ?」というやり取りがアニメ7話だと省略されている。理央という人物を(読者が)理解するにあたって重要そうなやり取りだと思うのだけど。
・3巻P102-107の翔子さんとの回想シーンがアニメではなくなってる?どこかで見た気がするので映画にまとめられてるのかも
・3巻P161の国見の彼女とのやりとりが、アニメ7話終盤ではカットされていて、彼女がなぜこの情報を手に入れることができたのかが明らかではなくなっている。というか俺には理由がわからなかった。
・3巻P300、雷のくだりが8話後半ではなくなってる。あまりにベタだからカットしたのだろうか。
・3巻P322、病院で翔子ちゃんとばったり出会う場面もなくなっている。アニメだけで(=5巻までで)話がまとまるように翔子さん関連エピソードは全部省略されてるのかな
・5巻P170-173、アニメでは文化祭の存在に触れられていない。それにともなって前後も整合性があるようにちょいちょい手が加わってる(例えば5巻P130に相当する場面での古賀との会話も内容が4巻P229のものになっている)。まあ4ページで終わる文化祭を登場させる意味を考えると。
・5巻P181、おんぶが11話ラストではカットされている。まあそれはそう(はい)
・5巻P215-225の麻衣さんとのやりとりがなくなってる。咲太とかえでの距離感に対する鋭い指摘とか
・5巻P234、キーアイテムである小説が、シリーズの途中の巻であることの説明がない。個人的には結構重要なポイントだと思うんだけど。本棚に入り切らない量の小説を持つ人物の蔵書になぜ欠けがあるのか、このことはきっと"かえで"にもずっと引っかかっているはずだ、といった類の想像をするために意味があると思うので。
・5巻P235、(咲太が想像する)メッセージカードの意味の描写がない。これもかなり重要だと思うのだけど。「既にあるものを捨てるかどうか」と「新しく作るかどうか」では、この結果を得るために必要なエネルギーが全然違うと思うので。
・5巻P272、喪失について言及があるが……うーん
・6巻P203、こんなところに伏線が
・7巻P74-78、P96など、今回の現象に関する詳しい言及が、映画ではカットされているような気がする?実際、俺は映画を見ただけだとこのあたりを誤解していた(その責任の半分は俺の読解力のなさによるものかもしれないけれど)
・7巻P82、指輪の話って映画であったっけ?(うろ覚え)
・7巻P105、「泣いたあとも頬に残っていた」という描写は映画ではなかった気がする。これも結構大きいと思う。
感想
サクラダリセット
原作は7年前、高校3年生の時に読んだのだけど、最近アニメを見たのをきっかけに再読した。
アニメはかなり良い出来で、大きな不満はないのだけど、やはり映像と文章の表現の違いを感じさせられる。
というのも、この作品は、それぞれのキャラクターがそれぞれの立場・物の考え方に基づいて、さまざまな物事にに考えを巡らせていることの描写が重要だと俺は思っていて、だから、内心の描写が難しい映像という形態ではこの作品を表現するのは難しいし、仮に、例えば表情の変化や言葉の強さ・間のとり方といったものでうまく表現されていたとしても、それを読み取ることは難しい。
これに関連する点だが、そういった重要な内心の描写ややりとりが、結構バッサバッサとカットされていて、気に食わない部分もある(後述)。この作品は、すべての描写に意味があるので、どこを切ったとしてもきっと不満を言うのだろうけれど。
感想を書くのは面倒になったので、以下いつも通り時系列感想で。
以下に述べるのは、アニメを一通り見た後、原作を読んでの感想。読んだのはスニーカー版。新装版では結構手が入っていると聞いて気になって入るのだけど装丁があまり好きではないので、どうしようかと思っている
・1巻P234、皆実がケイに電話するところがアニメ4話中盤ではカットされてる。やっぱり1巻の時点では彼女ももっと物語の本筋に絡む構想だったんじゃないかという気がする
・1巻P266、ケイが春埼に髪留めをプレゼントする場面で、「どこか冷静な部分では、このプレゼントに疑問を持っている」という春埼の内心描写を読んで初めて、アニメ4話後半では気づかずにいたその意味を理解した。やはり内心の描写がほしい
・1巻P47で野ノ尾さんの「ストーカー」という台詞があって、この伏線の回収が2巻P224でかなりさらっと書かれていることに気づいた。アニメでは、その正体はその場で明示的に描写されている(3話Aパートラスト)。おそらく原作だけしか見ていないと一生気づかなかったであろう伏線だ。
・魔女がした石に恋するたとえ話、これは単に春埼に対する問いかけなのではなく、本当に「女の子と恋についての話をしてみたかった」(2巻P108)のだということが、魔女の内心が描写されている2巻P174からわかる。これもアニメでは明示的に描写されていない。
・このたとえ話は浦地さんがしている。(どの場面だか忘れた)
・この老人と魔女の物語そのものが、ケイの物語とかなり対応するように描写されているのは明らかだけど、2巻P186の「二八年前、二人は一つの約束を交わした。それは再会の約束だ。必ずもう一度会おうという、シンプルで強い約束。」というのも、7年前の俺が好きなシーンとして挙げた場面と対応していそう
・2巻P174の「彼女の能力で知り得るのは、音と映像だけだった」という描写と、7巻P127でケイが相馬の能力を使うシーンの描写
・1巻の書き出し「伝言が好きなの」というセリフが実際に登場するのは3巻P96、結構遠い。そしてこれを、物語の最後の最後7巻P405「伝言なんて大嫌い」として再登場させるのは好き。「嫌い」の方はアニメ24話にも出てくるけど、「好き」というシーンはどこだろう(ちょっと探して見つからなかったけど、「嫌い」があるなら当然「好き」をどこかで描写しているはずで)
・3巻P114に「もし彼が一度でも手を握り、ケイの視界からキーホルダーを隠していれば、つまらない手品だと判断しただろう。だが彼は、手を開いたままだった。」とあるのに、アニメ10話では手を握って視界から隠している。なぜ変更したんだろう
・3巻P131-135あたりの、ケイの過去の話、彼が何を思いながら家の鍵を捨てたのかといった描写が、アニメ10話ではバッサリとカットされている。これがあるのとないのとでは、ケイという人物に対する理解にかなりの違いが生じてしまうと思うのだけど……。納得のいかないカットの1つ。
・相馬との出会いのシーン、2巻P266で相馬が「泣いているの?」とケイに問うのは7話冒頭にあるけど、3巻P215の春埼の「泣いているのですか?」はカットされてる……
・3巻P309からの、マリの件の結末がアニメではカットされている。なぜだろう。
・3巻P317「僕と春埼は違う。僕はね、僕が悲しいのが、嫌なんだ」、これがちょうどP90からの善と偽善の話に対応しているのだけど、これもアニメ2話だとカットされている。こういう細かく丁寧な描写の対応が容赦なくカットされているのは結構悲しい
・3巻P258-262で智樹と春埼が会話するシーンや6巻P34-45の学園祭のシーンでの、智樹のケイに対する認識・評価のもバッサリカットされている。そのせいでアニメでは智樹がかなりちょい役になっていて、これもちょっと不満。
・3巻P267、原作だとラムネ瓶を用意したのは相馬なんだよな……
・3巻P269-276もアニメだとカットされてる。そのせいで、ケイが初めから"暴力的な"手段に出ているように見えてしまう……
・4巻のサブタイトル"goodbye is not easy word to say"、TR5話の"Will you praise me if I can say good-bye well?"を想起させて好き
・5巻P139-P142、このタイミングで、7巻P40からの場面の未来回想シーンが入るのか。ということは、当然このタイミングで物語は結末まで完成していたのか。
・7年前の感想文では好きなキャラクターは野ノ尾さんだと書いていたけど、それはおそらくこの5巻の印象が強かったからなのだろう。例えばP192-208やP314-325、そしてP351-355
・6巻P269、アニメ18話で宇川さんが能力を使った直後のシーンで、車をたとえに出すけど、原作だとそれより前のP241で村瀬さんとこの話を一度している。村瀬さんとのやりとりはある意味で論理的に、津島先生とのやりとりは感情によって。
・前述の、7年前の俺が好きなシーンとして挙げたところの6巻P342、アニメ19話ではカットされてる。これは本当に許せない。一番嫌い。
・1巻の口絵にも書かれている「『リセット』たった一言。それだけで世界は三日分死ぬ。」という言葉、新装版だと「死ぬ」ではなく「巻き戻る」になっていて、これはかなり不満。というのも、「死」というものは不可逆変化の象徴であって、だから7巻の序盤の「能力がなくなった世界」を消してしまうことの重大性を表すのに、ふさわしい言葉だと思うから。7巻P25の文章が、「世界を殺す」ではなく「巻き戻す」だと締まらない。
・7巻P49「誰かのためじゃない。――僕自身が咲良田の能力を望んでいるんだ」
・7巻P77「能力は絶対的だ。例えば愛や友情で、乗り越えられるものではない。きっと愛が、友情が、そういう強い感情が能力を生むのだ。だから、同じものでは超越できない」
・7巻P147、「かけらの疑いもなく、後ろ向きに一〇メートルではきかない距離を落下できるのは、たぶん世界で二人だけだ。――春埼美空。それと、私」、アニメ21話だと「私と――」となっていて、2人目への言及をぼかす演出になってる。どういう意図があるんだろうか。
・7巻P281、春埼がケイに対して「初めて会った頃からずっと、彼はそうだった。世界中の悲しみを、まるで自分自身の悲しみのように嫌っていた。あの複雑で混沌とした彼の本質は、こんなにもシンプルで美しい」と思っているけれど、これは2巻P174-175あたりで、全く同じことをケイが春埼に対して思っていそう。二人はとても良く似ている
・7巻P294「『とても似ている僕たちは、もう少しわかり合えます。完全ではなくても、十分に相手を理解できます。僕たちには、それを信じることしかできない』何も知らない赤子が、母親の口から漏れる音の羅列を、意味のある言葉なのだと信じるように。その意味を読み解けるのだと無垢に信じるように」、この部分は1巻P65のやりとりと対応しているように思う。物語序盤の、すでに一度伏線として使った話を、終盤でもう一度うまく絡めてくるの好き。
原作は7年前、高校3年生の時に読んだのだけど、最近アニメを見たのをきっかけに再読した。
アニメはかなり良い出来で、大きな不満はないのだけど、やはり映像と文章の表現の違いを感じさせられる。
というのも、この作品は、それぞれのキャラクターがそれぞれの立場・物の考え方に基づいて、さまざまな物事にに考えを巡らせていることの描写が重要だと俺は思っていて、だから、内心の描写が難しい映像という形態ではこの作品を表現するのは難しいし、仮に、例えば表情の変化や言葉の強さ・間のとり方といったものでうまく表現されていたとしても、それを読み取ることは難しい。
これに関連する点だが、そういった重要な内心の描写ややりとりが、結構バッサバッサとカットされていて、気に食わない部分もある(後述)。この作品は、すべての描写に意味があるので、どこを切ったとしてもきっと不満を言うのだろうけれど。
感想を書くのは面倒になったので、以下いつも通り時系列感想で。
以下に述べるのは、アニメを一通り見た後、原作を読んでの感想。読んだのはスニーカー版。新装版では結構手が入っていると聞いて気になって入るのだけど装丁があまり好きではないので、どうしようかと思っている
・1巻P234、皆実がケイに電話するところがアニメ4話中盤ではカットされてる。やっぱり1巻の時点では彼女ももっと物語の本筋に絡む構想だったんじゃないかという気がする
・1巻P266、ケイが春埼に髪留めをプレゼントする場面で、「どこか冷静な部分では、このプレゼントに疑問を持っている」という春埼の内心描写を読んで初めて、アニメ4話後半では気づかずにいたその意味を理解した。やはり内心の描写がほしい
・1巻P47で野ノ尾さんの「ストーカー」という台詞があって、この伏線の回収が2巻P224でかなりさらっと書かれていることに気づいた。アニメでは、その正体はその場で明示的に描写されている(3話Aパートラスト)。おそらく原作だけしか見ていないと一生気づかなかったであろう伏線だ。
・魔女がした石に恋するたとえ話、これは単に春埼に対する問いかけなのではなく、本当に「女の子と恋についての話をしてみたかった」(2巻P108)のだということが、魔女の内心が描写されている2巻P174からわかる。これもアニメでは明示的に描写されていない。
・このたとえ話は浦地さんがしている。(どの場面だか忘れた)
・この老人と魔女の物語そのものが、ケイの物語とかなり対応するように描写されているのは明らかだけど、2巻P186の「二八年前、二人は一つの約束を交わした。それは再会の約束だ。必ずもう一度会おうという、シンプルで強い約束。」というのも、7年前の俺が好きなシーンとして挙げた場面と対応していそう
・2巻P174の「彼女の能力で知り得るのは、音と映像だけだった」という描写と、7巻P127でケイが相馬の能力を使うシーンの描写
・1巻の書き出し「伝言が好きなの」というセリフが実際に登場するのは3巻P96、結構遠い。そしてこれを、物語の最後の最後7巻P405「伝言なんて大嫌い」として再登場させるのは好き。「嫌い」の方はアニメ24話にも出てくるけど、「好き」というシーンはどこだろう(ちょっと探して見つからなかったけど、「嫌い」があるなら当然「好き」をどこかで描写しているはずで)
・3巻P114に「もし彼が一度でも手を握り、ケイの視界からキーホルダーを隠していれば、つまらない手品だと判断しただろう。だが彼は、手を開いたままだった。」とあるのに、アニメ10話では手を握って視界から隠している。なぜ変更したんだろう
・3巻P131-135あたりの、ケイの過去の話、彼が何を思いながら家の鍵を捨てたのかといった描写が、アニメ10話ではバッサリとカットされている。これがあるのとないのとでは、ケイという人物に対する理解にかなりの違いが生じてしまうと思うのだけど……。納得のいかないカットの1つ。
・相馬との出会いのシーン、2巻P266で相馬が「泣いているの?」とケイに問うのは7話冒頭にあるけど、3巻P215の春埼の「泣いているのですか?」はカットされてる……
・3巻P309からの、マリの件の結末がアニメではカットされている。なぜだろう。
・3巻P317「僕と春埼は違う。僕はね、僕が悲しいのが、嫌なんだ」、これがちょうどP90からの善と偽善の話に対応しているのだけど、これもアニメ2話だとカットされている。こういう細かく丁寧な描写の対応が容赦なくカットされているのは結構悲しい
・3巻P258-262で智樹と春埼が会話するシーンや6巻P34-45の学園祭のシーンでの、智樹のケイに対する認識・評価のもバッサリカットされている。そのせいでアニメでは智樹がかなりちょい役になっていて、これもちょっと不満。
・3巻P267、原作だとラムネ瓶を用意したのは相馬なんだよな……
・3巻P269-276もアニメだとカットされてる。そのせいで、ケイが初めから"暴力的な"手段に出ているように見えてしまう……
・4巻のサブタイトル"goodbye is not easy word to say"、TR5話の"Will you praise me if I can say good-bye well?"を想起させて好き
・5巻P139-P142、このタイミングで、7巻P40からの場面の未来回想シーンが入るのか。ということは、当然このタイミングで物語は結末まで完成していたのか。
・7年前の感想文では好きなキャラクターは野ノ尾さんだと書いていたけど、それはおそらくこの5巻の印象が強かったからなのだろう。例えばP192-208やP314-325、そしてP351-355
・6巻P269、アニメ18話で宇川さんが能力を使った直後のシーンで、車をたとえに出すけど、原作だとそれより前のP241で村瀬さんとこの話を一度している。村瀬さんとのやりとりはある意味で論理的に、津島先生とのやりとりは感情によって。
・前述の、7年前の俺が好きなシーンとして挙げたところの6巻P342、アニメ19話ではカットされてる。これは本当に許せない。一番嫌い。
・1巻の口絵にも書かれている「『リセット』たった一言。それだけで世界は三日分死ぬ。」という言葉、新装版だと「死ぬ」ではなく「巻き戻る」になっていて、これはかなり不満。というのも、「死」というものは不可逆変化の象徴であって、だから7巻の序盤の「能力がなくなった世界」を消してしまうことの重大性を表すのに、ふさわしい言葉だと思うから。7巻P25の文章が、「世界を殺す」ではなく「巻き戻す」だと締まらない。
・7巻P49「誰かのためじゃない。――僕自身が咲良田の能力を望んでいるんだ」
・7巻P77「能力は絶対的だ。例えば愛や友情で、乗り越えられるものではない。きっと愛が、友情が、そういう強い感情が能力を生むのだ。だから、同じものでは超越できない」
・7巻P147、「かけらの疑いもなく、後ろ向きに一〇メートルではきかない距離を落下できるのは、たぶん世界で二人だけだ。――春埼美空。それと、私」、アニメ21話だと「私と――」となっていて、2人目への言及をぼかす演出になってる。どういう意図があるんだろうか。
・7巻P281、春埼がケイに対して「初めて会った頃からずっと、彼はそうだった。世界中の悲しみを、まるで自分自身の悲しみのように嫌っていた。あの複雑で混沌とした彼の本質は、こんなにもシンプルで美しい」と思っているけれど、これは2巻P174-175あたりで、全く同じことをケイが春埼に対して思っていそう。二人はとても良く似ている
・7巻P294「『とても似ている僕たちは、もう少しわかり合えます。完全ではなくても、十分に相手を理解できます。僕たちには、それを信じることしかできない』何も知らない赤子が、母親の口から漏れる音の羅列を、意味のある言葉なのだと信じるように。その意味を読み解けるのだと無垢に信じるように」、この部分は1巻P65のやりとりと対応しているように思う。物語序盤の、すでに一度伏線として使った話を、終盤でもう一度うまく絡めてくるの好き。